一番町の歴史

市内中心部の商店街として南北に伸びるアーケード街で、(サンモール一番町・ぶらんどーむ一番町・一番町四丁目)の3つの商店街があります。藩政時代の東一番丁は、南は柳町、北は定禅寺通まで及ぶ通りで、慶長六年(1601)にできた藩士のための住宅地で、当時は大番組に属する由緒ある家柄の武家屋敷が軒を並べていました。明治維新後、士族のほとんどが働き場を失い路頭に迷う姿を見かねた山家豊三郎が、士族に煙草屋などを商わせ生活の糧としました。また、東一番丁に屋敷を構えていた山家は、邸内の山家明神の祭礼や興行を催すなど集客に努めました。当時の仙台城下の経済の中心は「芭蕉の辻」や「奥州街道」で、国分町がメインストリートでしたが、東一番丁が賑わうにつれ、様々なところから人が集まるようになり、「一番町」という名に変わり、かつての侍の町は繁華街となりました。

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